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東塚(ひがしづか)は、岡山県倉敷市水島にある地域である。なお東塚と隣接し、ともに第一福田小学校区を形成するなど歴史・生活面で繋がりの深い松江(まつえ)・中畝(なかせ)・南畝(みなみせ)地域も、東塚とともに解説する(以下、4地域あわせて東塚周辺と呼称する)。 上記の東塚周辺地域は福田の南部に位置し、かつての児島郡福田新田村の中南部にあたり、明治初期頃までそれぞれ児島郡東塚村・松江村・中畝村・南畝村を名乗っていた。 == 概要 == 水島支所管内の中央南よりにあたり、東西・南北各2.5kmのほぼ正方形のエリアである。倉敷市本庁舎からは南へ約7kmに位置し、南側に水島臨海工業地帯と隣接、北には北畝、北東に古新田、東に呼松、西には水島市街とそれぞれしている〔倉敷市立第一福田小学校 〕。 当地はかつては海域(水島灘)であった。高梁川が中世後期以降順次おこなわれていった干拓により流路・河口部が南下していき、当地は東高梁川河口沖へ位置するように変化した。高梁川の沖積作用により干潟が生まれていき、享保年間に福田村西沖が干拓された(のちの福田古新田)。その西方にあたる東高梁川河口沖に高塚原と呼ばれる広大な干潟が生まれ、三角州となり、店名年間に児島郡柳田村の名主・汲五平が新田造成を岡山藩に申請し、許可を得て干拓を行ったが成功しなかった。その後、同郡味野村の野崎武左右衛門が藩命を受けて干拓を実行、嘉永5年に完成し954町7反3畝余りの新田が開墾された。その後福田新田と命名し、かつて福田村西方沖に干拓された同名の福田新田は、福田古新田に改称された。広大な福田新田は6つに分けられ、北部は北畝、中西部は中畝、西南部は南畝、中東部は東塚、南東部は松江となった。このうち北部の北畝を除く地域が当地にあたる。呼松村西方沖にあった王島という島は、福田新田開墾により、福田新田と陸続きとなった。現在、松江の南部にある王島山が、かつての王島である。〔下中直也 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』(1981年)平凡社〕。 明治22年6月1日の町村制施行にあたり、現在の南畝・中畝・北畝からなる中畝村(なかせそん)と、松江と東塚からなる松江村が合併し、福田新田村(ふくだしんでんそん)を新設。その後、同37年4月に福田村(旧)と呼松村と合併、新・福田村(のちの福田町)を新設するに至った〔巌津政右衛門 『岡山地名事典』(1974年)日本文教出版社〕。 倉敷市(旧)に合併後、住所表記は大字の一部に旧町名を冠し「福田町○○」としていたが、のちに現在のように福田町を大字からと取り去った〔。 昭和40年代にからの水島臨海工業地帯の発展に伴い、市街化が進行し人口が急速に増加、地域社会も大きく変容し新興都市的な気風が見られるようになった〔。 地区北部を東西に水玉ブリッジラインと接続する岡山県道428号が通過し、中部を東西に国道430号、また中部と東部をそれぞれ南北に大型道路が通過している。西端部は南北に水島臨海鉄道が通過し、常盤駅と水島駅、また貨物駅の東水島駅がある。 古くは米・麦・イグサ・綿花などを主産物とする農業地帯で、近代以降は畑作が中心となっていたが、市街地化により商店・事業所・宅地が多く立地し、農地はほとんど消滅している〔岡山県大百科事典編集委員会編集『岡山県大百科事典』(1979年)山陽新聞社〕。 かつて同じ福田新田であった北部の北畝とほぼ同じような特徴を持っているエリアである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東塚」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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